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世界に一つだけの旅エピソード

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たんぽぽ1001さん(男性)の旅エピソード [2010-03-05 22:19:17]
 海の旅も面白い。和歌山県勝浦港から大阪までの海の旅でした・・・・

レース艇グランドソレイユ(GS42R)。二〇〇四年一月現在、世界に浮いているのは六艇。そのうちの一艇が日本に運ばれアジア初のデビューとなった。

 日本で艤装が完了したのは小網代湾だが、母港は大阪二色浜ハーバーであるから回航しなくてはならなかった。

 一月二九日〇四三〇時。三浦半島シーボニアを出航。同日夜、風浪が激しく伊豆下田付近の漁港に避難。三〇日一〇〇〇時、御前崎沖。同日二一時、潮岬手前三〇キロ。

 三一日午前八時、和歌山県白浜沖。同日一八三〇。大阪二色ハーバー入港という、いかにもレース艇らしいハードな航海だった。回航要員はベテランヨットマンだが、たった三人でオートパイロットも装備されていない艇を三日間徹夜で走らせた。普通の人は冬の太平洋でこのような芸当をしてはならない。

 初レースは、その後すぐ行われたがメンバーは、I(元日本チャレンジバウマン) K(近大ヨット部出身)N(元日本チャレンジ) O(同志社ヨット部出身) H(J24世界チャンピオン) F(ニッポンカップ日本人ナンバーワン)という面々で当然のごとく優勝した。      

二月一六日。九州は福岡県の小戸ハーバーから、ドイツから輸入されたばかりの新艇「海斗?」ババリア32が出航した。

 行き先は、同じく大阪二色ハーバー。違うのは、この艇は完全なクルージング艇であり、ドジャーが装備され、冬の風浪から乗員を守りオートパイロットのおかげで寒い中、舵輪を握って数時間も立ち続けるという苦行から開放されており、また冬場でも比較的穏やかな瀬戸内海航路を辿ることが出来、乗組員は一人のプロを除いて、「回航という名の遊び」を目的としていることだった。

海斗?は一一三〇時、博多を出発した。出航直後の風は、北東一二〜三ノットで真上り。玄界灘に乗り出すと、正面からの風が二二ノットとなった。二m強のうねりの中を二〇時過ぎに関門海峡を通過し、瀬戸内海へ入った。

 一七日〇九一〇時、松山港着、燃料補給。天候にも恵まれ潮の速い来島海峡も無事に通過し夕刻には今治港に到着。地元の肴で一杯飲む。ヨットの旅はこれが最高だ。翌未明に出港し、小豆島は土庄港へ向かうが、またもや「うどんを食いたい・・」と言う者が現れ即座に意見が一致。針路はいとも簡単に変更され高松へ入港。ここでまた宴会となった。

 一九日早暁もやいを解いて一路大阪へ針路を取り、楽々と母港に到着したと言う。正にクルージング艇らしい回航であった。



 こんな話に興味をそそられたF氏は何を思ったのか急にヨットが欲しくなり三八フィートミラベル375)を買ってしまった。自分にはまだ操船能力が充分で無いことに気づいたのは、買った後だった。

 そこで仲間に声をかけ、クルーを募り回航という運びになったが、まともに操船出来るのはH氏ただ一人で、あとは殆ど経験が無い。春三月、コースは静岡県熱海から大阪までの約五〇〇キロ。

初日はオーバーナイトで一気に勝浦まで行こうとしたがクルーの顔ぶれを見た結果「毎日明るいうちに、どこかの港に入りましょう」となった。

 三月一八日「物凄い波と風と雨」との第一報が入る。舳先からのスプレーを浴びながらの回航初日となり、経験の浅いクルー達は殆どがマグロとヨコワになった。ヨコワとはマグロの幼名である。

 時化てる中を伊東から約一八マイルを航海り、一七三〇時に稲取港着岸。直ちに温泉に浸かり、料理屋でキンメ鯛の煮付けをアテに冷たいビール。後は、イビキの大合奏となる。翌一九日、相変わらず海況は良くないが、一七〇〇福田漁港に入港。二〇日未明〇三〇〇時出港、一五〇〇時に三重県的矢湾。二一日〇六〇〇時出航。と刻々と状況がBBS(けいじばん)に書き込まれる。

我慢が出来なくなった私は、その日の内にJRオーシャンアローの乗客となった。勝浦駅に着くのとミラベルが入港してきたのは同時だった。

ここで大半のメンバーが入れ替わり、S氏、風来坊氏、ポチさん、私の四人となり、翌日からの回航に期待するが、やはり私は「嵐を呼ぶオッサン」で夜半から雨。翌日は風速三五〜四〇ノットで強風波浪警報が発令され、一日キャビンで天気図を睨みながら酒盛り。退屈しのぎに上陸して近所の食堂でまた酒。たまたま豪州から一人旅に来ていた男性を捕まえてヨットに招待し、一緒に呑む。しかし我々の誰一人として英語を操れる者はいなかったから、どうして会話してたのか不思議でならない。いくら時間をつぶしても湾の入り口は小山のような波が波頭を砕きながら次々と押し寄せている。

 二二時。警報は注意報に変わり風来坊氏が言った。

「二三〇〇に出航しよう」

 風は幾分弱まってはいるが外海の状況は分からない。真っ暗の海上に目をやると不安が膨らむのを抑えて出港、右手には岩場と漁礁があるはずだが見えない。狭い水路に押寄せる想像を絶する高波が、うねりの頂上を白く泡立せながら暗闇からいきなり壁の様に立ちはだかる。太平洋に乗り出したとたんに「出るんじゃなかった」と思う。風浪は充分に残っていた。大波に翻弄されながら潮岬に針路を取るが、沖に出しすぎて黒潮に流され新宮沖まで流されて二時間のロス。コースを修正。風と波は後方からで七ノット平均で走る。やがて大島の灯台を確認し、ついで潮岬の灯台の光が迎えてくれる。

「あれを超えたら紀伊水道だ・・・」

出航してから、すでに五時間。その間、舵を握って立ちっぱなしで、手も足も棒のように強張ってしまっている。黒潮が近寄っているため、いつまで走っても岬をクリア出来なくて焦る。

「もっと岸へ寄せろ」

とS氏に言われ、岸沿いに進むが暗岩の恐怖もある。乗り上げ事故にならないように祈りながら、ようやく岬を回ったものの天は我等を、まだ許してはくれなかった。

 風が変わり、真正面から三〇ノットを超えて吹きつけ、激しい飛沫が襲い目も開けられない状況となる。

 速度は四ノットまで落ち、日の御崎、白崎、剣崎と難所が続く。機走でありながらジグザグに進み、ようやく和歌山マリーナに着いた時には出航から一七時間を要していた。私は日程の都合で、ここで下船したが、直後に海は凪いだ。ここに私の「嵐を呼ぶオッサン」としての名は完全に定着した。

 
http://azj.hp.infoseek.co.jp/page04kaikou.htm

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