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竹内街道の口コミ一覧(7〜8点)

4件の口コミのうち、1件目から4件目を表示しています。
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たんぽぽ1001さんのクチコミ
2022年05月04日に投稿されました。
緑の一里塚
金岡神社
世中で見つけた案内板
金岡小学校前の案内絵
 竹内街道は堺から奈良への道なので今回は堺方面へ走った。
 羽曳野市から松原市、堺市方面となる旧の細い道は車のすれ違い困難な場所や一方通行やらで単車や車では迂回ばかりしなくてはならない。

 私の愛車は人力+電力のハイブリッド、所謂電動アシスト自転車なので上記のような規制は規制標識の下に付いている『自転車を除く』という補助標識のおかげで通行を妨げられることはない。

 狭隘路を走っていると、たまに竹内街道の表示がある。
 「緑の一里塚」という場所が1.5キロ先にあるという案内板があったので、どんな所か気になった。
 行ってみるとマンションの入り口にある小さな公園という雰囲気。磨かれた平らな石が2個配置されていたので座って休めそうだった。

 ここからさらに西へ走る。街道は大泉緑地公園の南側の道路となる。GWということで公園利用者の車が多い。
 駐車場も満車の場所が多い。
公園を通り過ぎると大阪中央環状線を横切る。

 再び街中の狭い道路となる。街道沿いに金岡神社があり、入口に『夜店』の張り紙があって5、6,7月の日程が書かれてある。
 コロナ発生から2年以上、ようやく夜店が出せる状況になったのかと安堵する。

 さらに進むと金岡小学校があったが校門横に竹内街道の略図? 周辺の町案内の絵があった。
 こういうものがあると周辺の様子が分かりやすくて有難い。

 微風快晴の下走ってきたが暑い。
 私のような高齢者は熱中症に気を付けなければならない。コンビニでお茶を購入するが用心のため、ここから先は次回にする。
 
※この観光スポットの感想クチコミは各投稿者が経験した体験を基にした個人的な意見であり、【たびかん編集部】のものではありません。
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ウマゴンさんのクチコミ
2018年12月02日に投稿されました。
竹内街道は、大阪府堺市から東へ向かい、二上山の南麓・竹内峠を越えて、奈良県葛城市の長尾神社付近に至る約26 kmの街道で、大和国と河内国を結んだ古代の幹線道路の一つ、日本最古の官道といわれています。
その昔、河内国難波の宮(今の大阪城辺り)の港に上がった資材を明日香の古代大和朝廷や有力豪族まで運ばれたと言われています。
当然今も昔も、物流だけでなく物の運搬とともに人材、情報、文化の交流も行われたわけで、まさしく古代日本の産業、文化の中心であり発信基地であったわけです。

また現代に至っては、その歴史的遺産だけでなく、奈良盆地を中心に河内・南山城地域にかけて分布する特徴的な切妻屋根の大和棟造りの家屋がその面影を残す地域としても貴重である、と聞いたことがあります。

私自身、古代大和王朝から大化の改新までの歴史が好きで、特に聖徳太子及び蘇我氏隆盛の時代に興味があることもあり、一度は訪れてみたい場所でした。
ただ時間的、体力的条件もあるため、実際に訪問したのは竹内街道の中でも太子町付近と竹内街道歴史資料館のみという、竹内街道の紹介としては少し恥ずかしく物足りない内容になることをご容赦下さい。

当日は「道の駅 近つ飛鳥の里・太子」に乗用車を駐車し、そこから案内看板に従って街道を移動、「大道旧山本家住宅、孝徳天皇陵、竹内街道歴史資料館の巡り再び道の駅に戻って来るというルートでした。

全長約26?の竹内街道のうちたったこれだけの距離の体験でしたが、場所ごとに時代の違いや色々な表情を見せ、歴史の移り変わりを感じることができる体験でした。
特に竹内街道歴史資料館では、映像による竹内街道の歴史的変遷の説明があり、私のような「遣隋使」時代の官道としての認識しか無かった者にとっては、江戸時代には、お伊勢参り、大峰詣、當麻詣などが盛んになり「宗教の道」として、街道沿いには道標が建てられ、旅籠や茶店などが軒を連ね賑わったことや、明治には、大阪南部が堺県となりやがて堺県が奈良県を併合すると物資を運ぶ「経済の道」として街道の重要性がましたことなど、全く知らなかったことが多くあり、恥ずかしさとともに、新しい知識を得たことに感謝しました。
まさしく、時代とともに役割を変え姿を変えてきた竹内街道なのです。

最近では、「太子町観光・まちづくり協会」が中心となり、竹内街道・横大路(大道)実行委員会が日本遺産認定をめざし、文化庁へ日本遺産認定申請をした結果、大阪府では初めてとなる日本遺産に認定されたとのこと。
またその認知度アップと町おこしとして、各種のイベントを実施したり、Photoコンテストを実施したりと、官民一体となった活動を展開しています。
※私事ですが、この文章を書いていて思い出しました。実は今年の夏に実施された「竹内街道・横大路(大道)2018デジタルフォトコンテスト」に応募をいたしました。表彰式が12月上旬という応募要項を読み直して、未だに何の連絡も主催者から無いということは、落選したのだなと。いいのか悪いのか、この投稿をきっかけに思い出しましたが、忘れるぐらい自信の無い応募だったので残念な気持ちはありません。という言い訳で今回の投稿を終わります。
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たんぽぽ1001さんのクチコミ
2018年05月11日に投稿されました。
絵馬堂内部
絵馬堂内部
本殿
入口
神社説明板
 竹内街道は、大阪府堺市の大小路から奈良県葛城市に至る道だが、その終点はどこかと言えば「長尾神社」と聞いた。
 それじゃ見に行ってみようと走る。

 神社北側の道には「竹内街道」の案内板があって細い道(竹内街道)が西の山に向かって伸びている。
 これが山を越え、川を渡り、堺の街まで続いている。

 神社の入り口は東側にあって、鳥居の両側にはカエルの像がある。
 
 こじんまりした神社だが、本殿に向かって右側に絵馬堂がある。生まれた赤ちゃんが氏子になった印として絵馬を奉納するらしいが、。ずいぶん沢山の絵馬があった。
 堂の入り口は閉まっているが、格子状の扉などから中を見ることができる。

 
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たんぽぽ1001さんのクチコミ
2017年08月28日に投稿されました。
街道説明板
国道沿いのレストラン
歴史史料館
大道旧山本家
竹内街道
普通に走れそうに見えますが、トンネル手前で車は通れなくなります
あちこちに案内標識?があります
360CCの軽四で山越えしたのを思い出します
 飛鳥時代、推古天皇が大陸からの使節を迎えるため難波の港と飛鳥の都を結んだ「大道」で、我が国最初の官道である。 

 江戸時代には堺と大和を結ぶ竹内街道として整備されたが、その歴史については「竹内街道歴史史料館」で詳しく知ることが出来る。


 そう聞けば仰々しいけど、私にしたら大阪南部から奈良へ抜ける一番便利な道だった。

 私が初めて通ったのは45年以上前のことになるが、当時は未舗装で、木々が生い茂り昼なお暗い細い道で、街灯もなく、夜間は漆黒の闇に包まれていた。

 竹内街道は、今は国道166号として整備され、さらに国道に並走するように南阪奈道路が開通して大きく様変わりした。

 時代が遷っても、重要な道としての位置づけは変わらないようだ。

          ★
 
 大阪から奈良に向かって街道を進むと、道の駅「近つ飛鳥の里 太子」と「歴史史料館」「国登録文化財大道旧山本家」がほぼ同じ地域にある。山本家は休日だけの公開のようだ。


 国道166号を大阪方面から奈良方面へに進むと、左手にレストランがあり、このすぐ先には二上山への登山口の案内板が目に入る。

 これを過ぎると「竹内街道入口」の看板があるが、車止めがあって四輪車は入れない。ここから山の麓まで国道に沿うように旧街道が続いている。

 今は、旧街道を車で走り抜けることは出来ないものの、所どころに旧道が残っていて往時の面影を残す。カーブミラーが残っているが、その先は道路がガードレールで塞がれている。

 レストラン近くの万葉の森駐車場に車を置いて歩くか、公共交通なら近鉄吉野線「上ノ太子駅」からハイキング。

 自転車やバイクならもっと便利に散策出来ます。
  
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