国内最多の観光写真コンテスト開催数!口コミをもとにしたランキングや情報など、日本の観光スポットに関する情報はたびかん!
ホーム » 新世界の情報と口コミ » 新世界の口コミ一覧

新世界の口コミ一覧

3件の口コミのうち、1件目から3件目を表示しています。
前の10件 1次の10件
あなたはこのクチコミが参考になると思いますか?
はい!参考になりました!
72名が参考になると回答しています
たんぽぽ1001さんのクチコミ
2021年07月04日に投稿されました。
一軒だけ残った家屋
がけ崩れの跡
文化財の料亭(内部は素晴らしいです)
飛田新地東側の壁
小料理屋が並ぶ
昭和の雰囲気が漂う喫煙所。時計台になっています。
 コロナ騒動のせいで大きなフグの看板が消えた。

 この地も様変わりしている。

 新世界からジャンジャン横丁を南へ抜けると西成あいりん地区になる。

 昭和40~50年代に何度も騒動があった場所。
日雇い労働者と警察が衝突した。
 機動隊に向かって石や火炎瓶が投げられる。
 学生運動と違って、ここでは『クソ爆弾』も投げられた。
 ビニール袋に糞尿を入れて機動隊に投げるのだ。

 そんな時代にまた別の戦いが勃発する。
大阪戦争と呼ばれる大日本正義団と山口組との抗争。
 
 組事務所に拳銃や散弾銃が打ち込まれ、多数の死傷者を出した事件。

 そんな危ない地域の南側には旧飛田遊郭がある。
 昔の赤線地域だが、今も小料理屋として往年の雰囲気が残っている。
 各店の玄関には綺麗な女性がライトを受けて座っている。
 店の二階へ上がって女性と話をしているうちに仲良くなってしまうというスタイル。

 料亭の百番の建物は登録有形文化財に指定されている。
 ここは綺麗な女性が座っているのではなく純粋に料亭だが、今は予約客しか受け付けていないと聞いた。

 ここから、さらに南へ300メートルほど行った天下茶屋で崖崩れが発生して連日のニュースになった。
 太古の時代、この崖の下まで海だった場所で崖の上は上町台地。
 一軒だけ崩れずに残った家屋の下は上町台地の岩盤が残っているようだと専門家が解説していた。

 この崩れた石垣は上町台地に沿って北へ延びている。

先ほどの飛田地区東端にも、かつては石垣があった。
 昭和の時代に、この地で働いていた人に石垣の由来を聞くと「遊郭で働いていた遊女が逃げられないようにした石垣だ」という話も聞いた。

 災害列島の日本。
 こんな街中にも大きな災害が発生する時代になってしまったのが恐ろしい。
 
※この観光スポットの感想クチコミは各投稿者が経験した体験を基にした個人的な意見であり、【たびかん編集部】のものではありません。
あなたはこのクチコミが参考になると思いますか?
はい!参考になりました!
100名が参考になると回答しています
たんぽぽ1001さんのクチコミ
2020年01月20日に投稿されました。
射的屋さん。
朝日劇場
色々なお店が並んでいます。
初めて行った串カツ屋さん。
串カツ店内
 新世界も綺麗になったもので、昔の面影は少なくなった。

 それでも脈々と受け継がれれていたり生き残っている特有の文化は今でも人気がある。
 射的なんて滅多に見ることは無いし、大衆演劇の朝日劇場もその一つで、聞くところによるとファンで溢れ、満員御礼状態が続いているらしい。

 もう一つは『串カツ』。有名どころがあって、どこも『ソースの二度づけ禁止』となっている。その有名どころに行こうかと思って覗いてみたららほぼ満員だった。

 そこで初めての店に行ってみた。新世界で一番でかい『通天閣海老串』やワイン、地ビールなどが売りらしい。

 2007年からの営業で10年越えと謳っているが、昭和50年ごろからウロウロしている私からしたら新顔としか思えない。

 入ってみたら客は私だけで、一番乗りだった。

 串カツとビールで昼ご飯。昼間からほろ酔いとなって彷徨うはめになった。

 大昔なら、フラフラ歩いていたら恐喝の餌食になっただろうけど今は無事に新世界から脱出できるようになったから良くなったものだ。
※この観光スポットの感想クチコミは各投稿者が経験した体験を基にした個人的な意見であり、【たびかん編集部】のものではありません。
あなたはこのクチコミが参考になると思いますか?
はい!参考になりました!
138名が参考になると回答しています
たんぽぽ1001さんのクチコミ
2018年07月20日に投稿されました。
観光客と通天閣
ジャンジャン町入口
串カツ店が並んでいます。
射的屋さん・・・
 45年ぶりに新世界を訪れたら驚きの連続だった。町が綺麗になっている!

 大きなフグの提灯や二度づけ禁止の串カツ屋は以前のままだが、その付近を外国人観光客が沢山歩いていて華やかな雰囲気になっている。

 派手な店構えが並ぶ中に通天閣が聳え立っている。

 当時、誰がこの様に様変わりすることが予想できただろうか。新世界と呼ばれる一帯は、昔から映画、演劇、飲食、パチンコ、射的、囲碁などの大衆娯楽の街である。
 特に、演劇にはファンも多く賑わっていると聞く。

 ジャンジャン町は戦前にスタンド式の狭い飲食店が軒を並べ、その中で女性が三味線をジャンジャン鳴らしてサービスしていたことが名前の由来とされている。

 ジャンジャン町北入口にあるうどん屋さんは1杯160円〜で安い!
 
 私がこの町に初めて足を踏み入れたのは今を去ること45年ほど前で、新世界の隣の町で仕事をしていたからだったが、街をウロウロしているのは殆どが日雇い労務者風の男たちばかりで昼間から酔っぱらってフラついていたのを思い出す。

 新世界からジャンジャン町を南へ抜けると西成あいりん地区になる。暴動がちょくちょく発生していた時代で、一般社会の人が来ることは少なかった。

 昭和50年7月には、のちに「大阪戦争」と呼ばれる暴力団抗争の火ぶたが切られた。賭場でのトラブルから大阪府豊中市の喫茶店で、山口組直系佐々木組傘下の組員3人を、松田組傘下の溝口組組員らが射殺したのだ。
 報復合戦は熾烈を極め、危ない街になっていた。

 私は、この頃を最後にして最近まで新世界周辺とはご無沙汰だったので、今の新世界の変わりように唖然としたのであった。

 この付近は明治初年まで処刑場で、放火犯は火あぶり、殺人犯は磔、強盗は打ち首と罪種に応じて処刑され、首を打ち落とし千日前(中央区)でさらしたといわれる。

 地下鉄堺筋線動物園前駅の西側にお地蔵さまと石碑があるが、これは死刑囚の霊を慰めるために聖徳太子の乳母人を彫ったもので「太子地蔵尊」と呼ばれている。また、この地を造成して出来たのが「飛田遊郭」だった。

 新世界と、その周辺は大阪の近代史がギュッと詰まっている。
※この観光スポットの感想クチコミは各投稿者が経験した体験を基にした個人的な意見であり、【たびかん編集部】のものではありません。
3件の口コミのうち、1件目から3件目を表示しています。
前の10件 1次の10件

新世界の情報と口コミ
↑ Page Top