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通称 水分(すいぶん)神社。
正しくは、建水分神社(たけみくまりじんじゃ)と言う。
難しい。一度憶えても数時間後には、たてみまくり? 何だったかな??加齢のなせる業か・・・。
この神社は大日本帝国海軍の戦艦『金剛』が大阪港に寄港した際には艦長以下乗組員が参拝に訪れたという。
理由は金剛の艦内神社には、この神社の分霊が勧請されていたからだ。
勧請とは分霊を他の神社に移すこと。
神道では、神霊は無限に分けることができ、分霊しても元の神霊に影響はなく、分霊も本社の神霊と同じだとのこと。
通常戦艦には大和や武蔵などの国の名前が与えられるが、金剛は『山』の名前である。これは当初巡洋戦艦だったことによる。
さて、お参り。
神社入口は急な坂。登った正面と右側に駐車場がある。
境内左右に大きな鳥居がある。まずは左側。
鳥居の奥に急な階段がある。
この階段を上がると拝所があって、さらに階段が続く。
奥の階段を登ると本殿があるが立入禁止!
本殿は下から仰ぎ見るしかない。
再び境内に下りる。今度は右側の鳥居。
ここは南木神社。楠木正成をお祀りしているという。
南木は楠木の楠をを分けたとか? 諸説あります。
この地は楠木正成の生誕地であることから、産湯の井戸跡とか楠木正成600年を記念して建てられた奉建塔などが近くにある。
また車で数分の所には全国的にも珍しい双円墳という形の金山古墳もある。
見所は多いが楽しい話ばかりではない。
この地には恐ろしい歴史もあった。
『河内十人斬り』 河内音頭や芝居で人気を得た事件。
明治時代に城戸熊太郎という男が村の顔役の弟に愛人を寝取られ、また顔役には借金を踏み倒されたあげく殴る蹴るの暴行を受けたことから舎弟と一緒に殴り込みをかけて10人を殺害したという。
熊太郎の墓も近くにあるそうだが、村では今もこの話はご法度で誰に聞いても教えてくれないらしい。
ネットにアップされてる墓の写真を見たら、その背景からおおよその場所は推定できるが行ってみたいとは思わない。
「昔なあ・・えらい事件があって巡査はんが大勢わっしょいわっしょい言いながら家の前を走って行ったんや・・・」
幼少期に聞いたこの話は憶えている。しかし誰から聞いたのかは全く記憶に無い。
家の前をと言うからには母方に違いない。祖母なのかもしれない・・・けど記憶に無い。
建水分神社と、その周辺は興味深いものがいっぱいでした。
※この観光スポットの感想クチコミは各投稿者が経験した体験を基にした個人的な意見であり、【たびかん編集部】のものではありません。
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