- 10点
みんなの投稿画像(18件)
- なかせんどう・きそじふくしまじゅく
中山道・木曽路 福島宿
中山道37番目の宿場。箱根、新居、碓氷と並ぶ日本4大関所のひとつ福島関所が置かれていた。
江戸時代の面影を残す建物や街並みの多くは残念ながら焼失してしまっている。
歴史的な資料や、当時の様子を伝える史跡などは残されており、当時の賑わいを偲ぶことができる。
画像提供:場んでっと様
みんなの口コミ(1件)
最新の口コミ(1件中 1-1件を表示)
あなたはこの口コミが参考になると思いますか?
23名が参考になると回答しています
木曽福島は島崎藤村先生の姉君が嫁いだ土地である。
縁故による姉パワーで藤村先生の関連資料の入手に成功、各所に資料館を構えている。
地元の方が「藤村先生」と呼ぶので場んでっとさんも倣うのである。
■概要
●木曽に11宿が置かれた宿場町は木曽路(木曽街道)と呼ばれる。
中山道は江戸と京都を結ぶ街道である
五街道の一つである中山道は日本橋から京都三条大橋までつながっている。
全長約534キロ。
木曽路はかつては大変な悪路で馬の通行はほとんどなかった。
徒歩推奨あるのみ。
道中は謎の山姥やクマが出没し、谷あり川あり崖あり、大変に危険な道であった。
中山道の東西端っこの江戸っ子や京都人は「命の方が大事」と遠回りの北陸道に避けて通行していたほどだ。
生まれ育ったジモティーは日常的にスイスイスーと通行していた。
普通に生活していたため宿場町は11個も発達した。
逞しさが違うのである。
かつて木曽人は謎にムキムキだったのだ。
木曽義仲が生まれるわけだよ。
●福島宿とは
福島宿は中山道37番目の宿場町。
木曽路十一宿では江戸側から5番目。
昭和の大火事で昔ながらの宿場町はほぼ燃えつくした。
現存する町並みは「上の段(蔵の通り)」以外は再建したものであり、飲食店が軒を並べている。
「上の段」と呼ばれる通り、旧中山道の崖の上にかつての街並みの雰囲気を集中して再現されている。
「上の段」周辺は10分あれば一周できる規模でそれほど大きくはない。
福島宿の観光は街並みだけでなくその他観光施設との併用が望ましい。
旧中山道沿いは温泉街である。
古くは修行者に愛された。
コロナ禍でバタバタ閉業している。
202409現在、日帰り温泉はどこも1000円以下のようだ。
木曽川沿いに温泉ホテルが立ち並び、イオン(かつてのジャスコの面影たっぷり)や裁判所や711が点在する。
都会である。
しかし小学生はクマ鈴つけて通学しており山らしさも感じる。
●温泉と地域の歴史と街並みを旅する
木曽福島駅を中心に日帰りの旅をするのであれば、
電車の時刻表との関連があってほぼ一日中滞在することになるだろう。
本数がとても少ないのだ。
奈良井宿との連続観光だとすべては回りきれない。
行き当たりばったりではなく、旅行計画を立てるのが望ましい。
◎徒歩で観光できる箇所
・桃介橋
福沢諭吉の娘婿、電力投資して大金持ちになった福沢桃介の作った橋。
木曽福島駅から徒歩圏。
重要文化財にして近代化産業遺産。
ばかでけえ。
・木曽御嶽山
集落の中にうっそうと生い茂った登山道入り口がある。
カモシカの写真なんか飾ってレア感を出してるがビシバシとクマの波動を感じる。
試しに駅前観光案内所で「出るか?」と尋ねたところ、
「出ないとは言えない」
「普通にいる」
「登るにはいい季節」
と言われて即断念した。
JR木曽福島駅下車、すぐそこにある御嶽山木曽本宮 元宮を拝めば登山と同様の効果が得られる。
拝むといいだろう。
・山村代官屋敷
福島関所資料館との両館入場割引券を購入したため、二日連続で木曽福島駅を訪れることになった。
突如、松本に宿泊するきっかけになった思い出深い休憩所。
聖域な感じがすると思ったら霊物がいた。
祀られてる。
すごく暑かったので歩きたくなくなり、急遽飛び込んでVTRと庭をずっと何時間も眺めてた。
オニヤンマ君が5-6匹も入ってきた。
・福島関所跡と福島関所資料館
初日に行けなかったため、二日目に奈良井宿のあとにやってきた。
武器がたくさんあって楽しかった。
お上に逆らうと弓で射られたりトゲトゲ棍棒で殴られたりするらしい。
過酷な現場だった。
複数で訪れたなら、お代官ごっこが出来そうなセットになっている。
控えよ、控えよ。
・高瀬家資料館
藤村先生の姉上の嫁ぎ先。
地域の名家であり徳川家に妙薬「奇慶丸」を献上していた元薬屋。
地元の豪族である山村代官に仕えて砲術指南、勘定役などを勤めた由緒ある家柄。
地域資料や藤村先生の資料などがある。
・興禅寺
木曽三大寺のひとつ。
木曽氏と山村氏(地域の豪族)の菩提寺。
木曽義仲一族の墓があるというので墓場に向かったところ、日が暮れたらクマ出没に注意するよう言われた。
ぞぞぞっ。
枯山水の有料庭が美しいと評判。
・御料館
木曽町指定有形文化財。
2014年から一般公開された元皇族のお屋敷。
皇室所有の森林を管理するために行政機関がここで働いていた庁舎。
とっても豪華な洋館。
・木曽福島城跡
クマ出るらしい。
行かない。
・関山公園
桜の名所だが人がいないとクマ出るらしい。
行かない。
・木曽川親水公園
足湯がある公園。
木曽川におりる階段がついている。
場んでっとさんはここでうっかり休憩して終電を逃がした。
◎バスやタクシーで観光できる箇所
・御岳
スキーシーズンや紅葉シーズンにロープウェイに乗って頂上近くまでぴゅーっと行けることから人気。
バスフリーパス2500円を買うとロープウェイまで行ける。
時刻表の確認必須。
・木曽温泉
コロナ禍で閉業してしまい、クランピング施設が一件残ってる。
バスで片道200円。
一応徒歩圏に鹿の瀬温泉がある。そっちのが安い。
・中山道 宮ノ越宿 本陣
明治天皇が休憩したことでめでたいめでたいと祝われてる本陣。
宮ノ越宿は何度も焼失して原型がなく、本陣もまた焼け落ちている。
今あるのは再建されたもの。
・東京大学木曽観測所
タクシーでしか行けない。
山の中をバス停から5km歩くのでクマ遭遇まったなし。
8月には特別公開するのでHPをよく見て申し込むべし。
■感想
●木曽川がものすごく美しいロケーション
温泉地らしい巨大な川と斜面に立つ建物の景観が美しい。
なにより空の美しいことよ。
うっとりと見とれる。
美しい木曽川の沿って行けばおのずと観光地にたどり着く。
各所で山から染み出た水を受け止める桶が置かれたり湧き水が出たりしていて水が豊富な土地。
橋も意匠をこらしたものがいくつかあり、
なんとも川が美しい街だ。
●日傘必須、影がない。
いかんせん、影がない。
川の両側が山なので街路樹をわざわざ植えてないのだ。
建物の影はすぐに消えてしまって夏場は灼熱地獄。
車社会で通りを歩く人は旅行者ぐらいしかいない。
地元民すらもほぼ歩かない。
灼熱の太陽に照らされて体力消耗が激しい。
春か秋であれば余裕もあっただろう。
駅から1.5㎞あたり、山村代官屋敷でダウンして長時間の休憩を取ることにした。
そして足湯でうだうだ時間を過ごしたらまた最終電車を逃がした。
●まとめ
街並みを期待していくと奈良井宿(約1kmの街並み)ほどの規模はないので拍子抜けするだろう。
木曽福島の観光の中心は有料施設になる。
四大関所のひとつと管理運営者山村家、そして島崎藤村先生ゆかりの高瀬家を巡る旅となる。
土地と地方豪族の歴史を紐解くことになるだろう。
「そういうの興味ない」
のであれば日帰り温泉か無料の足湯、木曽川に下りて水辺を楽しめる。
クマ出るから山にはいきたくない。
※この観光スポットの感想口コミは各投稿者が経験した体験を基にした個人的な意見であり、【たびかん編集部】のものではありません。
場んでっとさんに「ありがとうコメント」を贈ってください
近くの観光スポット
〒397-0001
長野県木曽郡木曽町福島5135
7点
中山道・木曽路 福島宿からの距離:約0.2km
〒397-0001
長野県木曽郡木曽町福島5808-1
10点
中山道・木曽路 福島宿からの距離:約0.3km
〒397-0001
長野県木曽郡木曽町福島4748-1
10点
中山道・木曽路 福島宿からの距離:約0.6km
〒397-0001
長野県木曽郡木曽町福島5659
0点
中山道・木曽路 福島宿からの距離:約0.8km
〒397-0001
長野県木曽郡木曽町福島5471-1
0点
中山道・木曽路 福島宿からの距離:約0.8km
〒397-0001
長野県木曽郡木曽町4061-1
10点
中山道・木曽路 福島宿からの距離:約3.7km
〒397-0001
長野県木曽郡木曽町福島和合4412-1
0点
中山道・木曽路 福島宿からの距離:約3.9km
「中山道・木曽路 福島宿からの距離」は、緯度経度のデータから計算したおよその直線距離です。実際の距離とは異なる可能性がありますので、ご了承ください。
長野県観光スポットの最新の口コミ
戸隠神社中社(ちゅうしゃ)
長野県長野市戸隠3506
霊山戸隠山のふもにあり、奥社、中社、宝光社、九頭龍社、
火之御子社の五社からなる戸隠神社です。
...
(続きを読む)
戸隠神社宝光社
長野県長野市戸隠宝光社にあります
鳥居から社殿までに、193段ある石段や杉の大木が見えて、
神秘的な雰囲気を感じることが出来ます。
...
(続きを読む)
透明度が高いわりに草も生えてないので初見は毒池かと思った。
イワナやカワマスがいるというが探しても見当たらない。
魚は何を食べてるんだろうか。
■概...
(続きを読む)
世界に一つだけの旅エピソード
ある青年は船旅をしたいという夢を持っていた。それも豪華客船ではなく、小船で島々を訪ねるという旅を。
青年というのは、もちろん私だ。私にも青年と呼ばれた時代は確かに存在した。
夢の実現にはとりあえず海技免許が必要だったので、小型船舶操縦士免許教習所の門をたたき、2日間コースの講習を受けて、そのまま国家試験。
運良く合...
(続きを読む)