江戸時代には浅草寺の奥の院のように扱われ、江戸からも多くの参詣者が訪れた古拙。
鶏と強い縁のある神社である。
■概要
通称「花畑おとりさま」。
神仏習合時代は「鷲大明神」や「鶏大明神」とも呼ばれた。
酉の市の発祥地のひとつ(我こそは発祥地、と名乗る寺社仏閣が複数ある。ここが一番古い)。
古木・巨木に囲まれた普段は静かな境内。
初詣や七五三、特に11月の酉の市では賑わう。
酉の市の夜には花火が上がることもある。
本殿正面の向拝柱に彫られた「昇り龍・降り龍」が特に見事(左甚五郎13代目後藤与五郎作と伝わる)。
神紋は佐竹氏の家紋「五本骨扇に月丸」でめでたい。
■感想
11月の酉の日に例祭と門前市が開かれ、「とりのまち」と呼ばれた歴史がある。
現在は熊手市が開かれ露店が立ち並ぶ伝統のお祭りが今も続く。
●酉の市の発祥地、元祖であるらしい
伝承によると、花畑大鷲神社を一ノ酉、千住勝専寺を二ノ酉、浅草大鳥神社を三ノ酉とする序列なんだそうだ。
一番格上の扱いである。
その昔、農家が鶏を奉納する習慣があった。
これが発展して関東の酉の市の起源になったと伝えられる。
都市部の寺社仏閣である浅草大鳥神社なんかは鶏を飼ってなさそう。
元祖が足立区の農村にある寺社仏閣あたりなのはなんか納得が出来る。
この奉納された鶏はどうなるのか。
神社が「鶏大明神」とも呼ばれていたころから、鶏は神様と特に縁の深い鳥(神の使い、または神への供物)として大切に扱われていたそうだ。
食べない。
鶏肉パーティとかしない。
奉納された鶏は境内に設けられた鶏舎で一時飼育され、祭が終わると翌日まとめて浅草寺の観音堂前に運ばれて放たれる(放生)のが慣例だったそうだ(ずっと飼う)。
『江戸名所図会』などにもこの様子が描かれている。
氏子(地元の人々)は鶏肉や鶏卵を食べないという禁忌(タブー)が昭和20年頃まで続き、一部では現在も残っているそうだ。
元々は食べるために農家が飼ってた鶏が、神社に奉納するにあたって鶏のガチ愛好家が育ったり、ゲン担ぎで食べなかったりで意味が深まっているもののようだ。
これにピンときた場んでっとさん。
栃木県の信玄平や謙信平付近ではめっちゃ「焼き鳥(鶏肉)」が食べられている。
そもそもの理由は、太平山神社に奉納されたニワトリが増えすぎた際の処理に困り、参拝客に振る舞ったことが始まりとされる。
神社に鶏を奉納する風習は日本各地にあるようだ。
その後の扱いは神社によってまちまちで統一感はあんまりない。
その地の人々の気質的なものに左右されているおおらかな風習だと思う。