Vol.68 [旧前田家本邸]
➁ 和館・・昭和5年完成 書院造り、お庭、和の空間
■ 昭和42年に正式に都立公園となった駒場公園、そもそもこの地は前田邸が完成した頃には今の敷地全部が前田家のお庭だったと言うから驚くばかり、これは見てもらわなければわからないが、周りは樹木に覆われ大きな杉や桜、けやきなどで覆いつくされ、今の新緑のビルは前田家と共に成長して来たように思える。
前田家和館は洋館の裏に当たり外国の館みたいな洋館とは一線を画しこちらは純和風の建物、洋館とは渡り廊下で繋がっている。外観は何かミニお城かお寺の本堂のよにも見えて来る。前田利為はここで皇族や華族仲間、外国要人らのおもてなしをしていたとの事でさっそく上がってみる。玄関は土足禁止で小さな靴下まで用意される、重要文化財を守るのも気を使うものだ。
書院造りと言えばよく正式な日本間に見られる床の間があり掛け軸がかかり生け花があり棚がありと言った特徴があるがここでは床の間は残っているけど他にはタンスみたいな棚が残っているだけ、あとは空っぽ、聞けば東京都が文化財保護のため美術品などはどこかに保管してあるとの事。それと見学は一階に限られ二階は禁止、手も足も出やしない、「しかたがない何かないかボランティアに聞こう」ボランティアガイドは見学者の様子を見て随時説明会をやっている。
説明はまあ一般的なものでこちらも下調べをして来てるし特に参考になる事もなかった、お庭は出れるかと聞けば出れないと言ってボランティアが一緒なら出れるらしい。「あり得ない」『見学者を信用していない」まあ重要文化財じゃしょうがないか・・
日本間はふすまを挟んで20畳の大広間、一階はこれで占められる、障子はしっかり作られ和の空間の一部を担い縁側はお庭の風景を取り込み日差しは前田利為侯爵を照らしていただろう。金沢城の大広間のようなこの空間で軍人でもあった当主は前田家の行く末でも考えていたのだろうか、それはわからない。
わかったのは大河「利家とまつ」の松島菜々子がお茶入れて奥から入って来ない事ぐらいなものだった。
残念だったのは他にもある、この和館と洋館を繋ぐ渡り廊下がありそばにはお茶室が残っていた事、ここも出入り禁止(ボランティアは別)金沢の街を文化都市にしたいと言った先代の街作り、それなら加賀友禅とか小さくても良いから金箔ぐらいは展示してほしかった。
外に出ると長い板塀が続きお庭の小さな滝もチラっと見えた。その頃は広かった前田家のお庭、今はペットを連れた散歩道、前には国道246に車が忙しく走っている。
明治維新から昭和にかけて激動と言っていい前田家の歴史
正門の撮影で振り返れば歴史の大波をかぶった侯爵家の佇まい、何かを訴えているような後ろ髪だった。