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75名が参考になると回答
ソナミの烽火台のクチコミ
2021年02月07日に投稿されました。
真泊漁港に車を停めてテクテクと歩いた事のない
宇根の細い坂道を登って行く。

さとうきび畑を、遠くにシンオウバシと奥武島を
久米島の海を一望できるくらいの高さまで
ひたすら登る。

目的地はソナミの烽火台。

並んでいるお墓を通り越すと
いよいよ道は舗装されていない農道である。
普通の車ではこの先へは進めないであろう。

少し距離はあるが車を置いて
徒歩で来て正解だったようである。
そして履物も靴で正解だったようである。


更に進むと周囲は完全に背丈を越える
ススキに覆われて景色の見えない砂利道だけ。

もちろん誰もいない。

出会う可能性があるのはハブだけである。
この辺りからはどうやら分かれ道に看板を用意してあって
容易に進めるようになっている。

先に久米島の歴史的ヒーローであるワカチャラが
母のいる粟国島を眺めて涙した際に使っていた涙石を眺めて

ソナミの烽火台へと向かう。

今やもう使われる事の無いであろうこの烽火台。

その場所へとたどり着いたワタクシは
その場所が目的地であるソナミの烽火台である事に
気づかずに大きな岩のある行き止まりである
とキョロキョロしてみたところ
説明板を発見。

ソナミの烽火台は別名 火焚石とも呼ばれていて
琉球王朝の時代 中国からの冊封船が久米島で見えると
烽火台からのろしをあげて渡名喜、座間味、
渡嘉敷、沖縄本島の小録村へと順に冊封船が来る事を伝えたんだとか。

更に小禄から首里の琉球王朝へは馬を走らせて
首里の琉球王朝ではその知らせによって
冊封使をお迎えする支度をしたようである。

歴史に疎いワタクシは
ところで冊封使ってどなたですか状態であるので
Google大先生に尋ねてみる。

冊封使とは中国王朝の皇帝が付庸国の国王に爵号を授けるために派遣する使節をいうらしい。

うむ。分かったようなわからないような。

モヤモヤしているうちに日が暮れそうなので
高さ2.5m 直径約7mの この烽火台の周りを
グルーっと回ってみる。

それにしても周囲のススキの勢いが凄い。
ススキの向こう側に広がっているであろう絶景は
残念ながらちっともワタクシの目には届かないのである。

無事に辿り着けたので満足である。
夕陽で黄金色に輝いているススキと
真っ青な海を眺めながら20分かけて
真泊港に停めた車へと戻ろう。

次回草刈り後を狙って行ってみようd( ̄  ̄)


76名が参考になると回答
涙石のクチコミ
2021年02月06日に投稿されました。
久米島のワカチャラをご存知だろうか。

15世紀ごろ一族で久米島を支配した豪族
伊敷索按司の3男で登武那覇城の城主であった
気の利く性格のいいイケメンで
抜群の人気であったこのワカチャラ。

このワカチャラの人生の物語は
現代版組踊としても演じられているので

涙石について紹介したい。

このワカチャラ以外の兄達は正妻の子。
絶大な人気を誇るワカチャラの母は
正妻の妬みを強く受けて粟国へ帰ってしまう。
若茶良は毎日 母のいる粟国島を眺めることが出来る
ソナミの丘の石に登って粟国を眺めて泣き暮らしたらしい。

ワカチャラが粟国を眺める為に登ったのが
この石が涙石。

これだけ久米島に来ていて
高校生の演じたワカチャラの演劇も観たのに
そう言えば涙石に行った事がない。

メジャーな観光スポットになっていないこの涙石は
島の人ですらはっきりとその場所を知らない
と言われている程のマイナーなスポット。

ワタクシは車を漁協へ停めて
ぶらぶらと宇根周辺を歩いて
ソナミの丘があるであろう坂道を登っていく。

完全に農道である。
たまに通り過ぎるのも軽トラ。

どんどん上へ登るに連れて細くなっていくこの道。
途中のいくつかの分かれ道には看板もない。

シンオウバシの全景を見下ろせる場所まで登ってきた。

お墓の並ぶ場所を超えて
いよいよ周りはススキとさとうきび畑だけになる。

そこまで来てやっと看板を発見。
砂利道の先はススキに囲まれて見えてこない。

車を置いてきて正解である。
いつでもどこからでもハブが出てきそうな道を進む。

ひたすら進んでカーブをぐるっと行くと
涙石のある場所へ出る。
どうやら私有地であるらしい。

涙石へと近づいて隣にある説明書きをチェック。

この涙石の上には
5寸もある深い穴があってそこに溜まった
ワカチャラの涙は乾くことが無かったとか。

そう言われるとその乾かぬ涙の溜まった
深い穴が気になるので石のうえによじ登ってみる。

それらしい穴を見つけて覗き込むと
奥の見えない穴がある。

はっきりと分からないが記念写真に残して
涙石を降りると石の側面に涙型の窪みも発見。

ワカチャラが粟国を眺めていた場所である。
もちろんここの高い場所からの景色も
そして道中の景色も絶景である。

駐車場もないのでハブとの遭遇に気をつけて
徒歩か原付で行くのがおすすめかもd( ̄  ̄)
70名が参考になると回答
月夜見宮のクチコミ
2021年02月05日に投稿されました。
冬至の逃げ足の速い太陽に逃げ切られる前に
たどり着いた伊勢神宮外宮の参拝終えて
看板にある地図を見上げると

外宮の側に月夜見宮を発見。

月夜見宮の存在は知っていたのだが
月夜見宮が外宮の側にある事も
伊勢にある事すら知らずにいたワタクシは
ここで月夜見宮の地図を見てビビビと
ご縁を感じる。

所要時間もこの時間から参拝出来るかも
わからないがとにかく行ってみよう。

月読尊が豊受大神に逢いに行く際に通る
神路通りをまっすぐ進んで月夜見宮へと到着。

樹に囲まれた月夜見宮はもう月読尊の支配する時間に近づいているが
鳥居をくぐってご本殿へとご挨拶に向かう。
木の素材感を感じられる社殿?と
その周囲に敷き詰められているのは
参道の細やかな砂利とは反対のゴロゴロした角のない大きな砂利。

存在感のある砂利の上を歩いてご本殿へご挨拶。
こんにちは。

言葉で説明するのは難しいのだが
夜が近づいている月夜見宮の
境内を流れる空気は静かであるが強い。


後からこの月夜見宮について調べてみると
外宮の別宮であるこの月夜見宮では
月夜見尊と荒ぶる神霊である月夜見尊荒御魂の2柱の神を同じ社殿に祀っているようである。

ご挨拶を終えて境内をぐるっと見回すと
どうやら左奥に摂社さんがありそうである。
左奥に進んでいくと鳥居を発見。
鳥居の奥には樹。
樹の根元に拝む場所がある。

ご挨拶をしよう。こんにちは。

この場所は一体?
調べて見ると高河原神社という場所らしい。
月夜見尊御魂をお祀りしていて
周辺地域の土地開拓の守護神とされているんだとか。


毎度毎度イザナギさんの右と左
どちらの目から産まれたのか忘れてしまう
月読尊についても改めて少し調べてみる。

伊邪那岐命が黄泉国から逃げ帰って
禊ぎをした時に生まれた神のうちの一柱。

右目から生まれたのが月読尊で
左目から生まれた天照大御神と
鼻から生まれた須佐之男命とともに
三貴神と呼ばれているんだとか。

念願の月夜見宮に
偶然にも参拝する事が出来たワタクシは
感動に包まれて参拝を終える。

お宿へ戻って
月夜見宮について改めて調べてみる。

どうやら内宮の別宮にも
月讀宮があるようなので
翌日の内宮の参拝に併せてご挨拶に伺おう
d( ̄  ̄)
71名が参考になると回答
月読宮のクチコミ
2021年02月05日に投稿されました。
伊勢神宮外宮にまっすぐ続く道を進んだところにある
月夜見宮に偶然ご挨拶をする事ができたワタクシは

その夜 翌日ご挨拶する予定の
内宮周辺の地図を眺めて
どうやら内宮の別宮にも漢字の異なる
月讀宮がある事を知る。

内宮で天照大神さんにご挨拶をして
おかげ横丁で赤福を食べることを
翌日のスケジュールの核としていたワタクシは
ここに来て月讀宮について知る事になったのも
何かのご縁であるとしてご挨拶に行く事にした。

名古屋へ向かう電車の時刻を気にしながら
おかげ横丁を抜けて道路にある
案内矢印を追って月讀宮へとひた走る。

それにしても、さすが伊勢。
至る所に案内矢印があるのでワタクシのように
地図を見ずに走り出すおっちょこちょいが
走る回るのには最高である。

ひたすら道沿いを進む。
二股に分かれる道をとりあえず左側へ進んで
鳥居を発見。
その隣に月讀宮と書かれている。

鳥居をくぐってモリに囲まれた
砂利の参道を歩く。ひたすら歩く。
木漏れ日の差し込む参道は思ったよりも
長いようである。

グルーっとまわって漸く建物が見えてきた。

そして参道をそのままつき進むと
どうやら先程のワタクシが左側を選んだ分かれ道の
右側の道に出るようである。

そしてそして。
この右側の道から入った方がどうやら社殿に近いようである。

なるほど。
次に参拝する時には右側の鳥居から入ってみよう。

さて。そのまま参道を進んで
横一列に並んでいる社殿を眺めることが出来る場所まで来ると
参拝の順番が書かれている。

⽉読宮 ⽉読尊 ①
⽉読荒御魂宮 ⽉読尊荒御魂 ②
伊佐奈岐宮 伊弉諾尊 ③
伊佐奈弥宮 伊弉冉尊 ④

ほほう。ご挨拶する順番があるのか。

途中見事に順番を忘れて
確認しながら順番に従ってご挨拶をしていく。

こんにちは。

さて。
ワタクシは荒御魂とはなんぞや問題に突き当たって
伊勢神宮のHPさんとGoogle大先生に尋ねてみる。

内宮の荒祭宮に天照大御神の荒御魂が
外宮の多賀宮に豊受大御神の荒御魂が祀られているように
月読宮に並んで月読尊荒御魂が祀られているんだとか。

神様の御魂の穏やかな働きを“和御魂”と呼ぶのに対して
格別に顕著なご神威をあらわされる御魂の働きを“荒御魂”とたたえるんだとか。

ワタクシにはチョットムズカシイ。
Google大先生にもう少し噛み砕いて頂こう。

荒魂はその荒々しさから新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂とされているんだとか。

ほほう。スッキリ。

さて無事にご挨拶できたので
倭姫宮へ向かおうd( ̄  ̄)
65名が参考になると回答
倭姫宮のクチコミ
2021年02月05日に投稿されました。
お伊勢さんイコール天照大神さん。
それだけのイメージしか持ち合わせていなかった
ワタクシはこの長旅の間に外宮にお祀りされている
豊受大神さんを知り、月読命を知り
倭姫さまの名前を耳にする。

伊勢にたどり着いたワタクシは
外宮と月夜見宮の参拝を終えて
翌日の予定を立てる為
内宮周辺の地図を眺める。

眺めた地図上に倭姫宮を発見。
倭姫さんてどなただっけ?
気になったのでGoogle大先生に聞いてみる。

倭比賣さんは第11代垂仁天皇の皇女。
天照大御神の御魂を鎮座する処を求めて
伊賀 近江 美濃と各地を巡って
長旅の末たどり着いた伊勢国で天照大御神から
美しいこの地に住もうと云うお告げを聞いて
内宮(皇大神宮)に天照大神の御魂を鎮めたんだとか。

その倭姫さまがお祀りされているのが
伊勢神宮の内宮の別宮である倭姫宮。

ほほう。
そんな素晴らしい方がお祀りされているのなら
ご挨拶に行くしかない。

翌日。
内宮で天照大神さんにご挨拶をして
おかげ横丁で赤福を味わって
月読命さんへご挨拶に月讀宮へと走る。

翌日、白山市で菊理姫さまに会うためには
この日の夜のうちに金沢にたどり着きたい。
その為には14:00の名古屋行きの電車に
乗らなくてはならない。

月讀宮へのご挨拶を終えて時計を眺めると
何とか倭姫宮にご挨拶できそうである。

道も所要時間もわからないまま
道路にある看板を追いかけて倭姫宮へと走る。

天照大神の力によってポカポカに照らされている
12月末の伊勢の街を汗だくで走る。
ひたすら走る。

坂道を登りながら道路を跨ぐ大鳥居をくぐる。
坂道を登りきったところに鳥居を発見。
隣に倭姫宮と書かれている。

着いた〜。
安心してゆったりと鳥居をくぐって
静かなモリに囲まれた砂利道の参道を進んでいく。

が。
どれだけ歩いても本殿が見えてこない。

あれれ。
この短い足の回転数をあげる。
数分そのスピードで進み続けて
漸くご本殿前の階段に到着。

呼吸を整えて
静かで強くて整ったご本殿の前に立って
ご挨拶。

こんにちは。
伊勢に来て倭姫さまについて知って
今こうしてご挨拶に来ることができました。
ご縁を頂きましてありがとうございます。

入ってきた参道とは違う参道で通りへ出て
駅を目指す。

倭姫さま今回は突然決めた参拝でバタバタしてしまったけれど
次回は時間に余裕をもって挨拶に来ますd( ̄  ̄)
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