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やましたよりさんの姫路城に対する口コミ

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やましたよりさんのクチコミ
2009年09月03日に投稿されました。
天下の名城、姫路城、
優美かつ壮大な外観が今も昔のまま残る。
JR姫路駅から大路を北へ徒歩10分、
城の玄関と言える大手門に着く。
その途中、ちょうど真ん中あたりを国道2号線が
左右に走り、道路沿いに中堀跡らしき石垣が延びる。
聞くと外堀はJR姫路駅の南側だそうだ。
城の周りには鷹匠町、材木町、農人町などの地名があり昔がしのばれる。

姫路城は約400才、
その歴史を振り返り改めて見直すのも面白いと思う。
姫路築城の前、関が原の合戦があった。
時は正に下克上の時代。
諸国大名は虎視眈々両雄の相打ちを願い、
勝った徳川はすぐさま周到な防御に走った。
九州を含めた西国に対して睨みを効かせる
最前線の砦が姫路城、
工事は急ピッチで進められた。
姫路城のぐるりには、更に赤穂、龍野、小野、明石など出城がつくられ、鉄壁のディフェンスがひかれる。
この時家康の片腕は大老酒井、
大老とは、言わば有事のときの特別老中のことである。
徳川家にとって幸い、その後戦(いくさ)は無く、
姫路城は一度も戦争を知らない城となった。
姫路の北部から兵庫中央は温暖気候の大穀倉地として天領となり、生野銀山も徳川財政を潤した。

しかし、栄枯盛衰の理(ことわり)でやがて幕末、
京都で戦乱が勃発した。
近代兵器を有する薩長に対した徳川勢は
1に会津、2に姫路であった。
会津藩は、白虎隊が燃える城を見て仲間同士命を絶った話が有名だが、
このとき姫路城で戦はなかった。
時の姫路藩主はまたも大老酒井、
何かの巡り合わせだろうか、もちろん子孫である。
彼が仕えた将軍は慶喜、
大政奉還、江戸城無血開城を行った
ラストエンペラーである。
徳川15代の中で大老は僅か3人だった。

迎えた明治維新、西洋文化に花丸がつく
一方で、武士文化は大きなバツをくらう。
チョン曲げ・刀は禁止となり、
城も過去の物、各地で無残に取り壊しがおこる。
しかし、何故か姫路城は残った。

次に姫路城に危機が迫ったのは第2次世界大戦、
この時日本各地は焦土となる。
姫路も空爆で多数民間人が亡くなった。
市内の手柄山には大きな慰霊塔が建造されている。
しかし、またも姫路城は残った。
日本人が壊したガラクタを
アメリカ軍は重要な文化財と判断した。
命辛々逃げる人々は姫路城の周囲に住み着く、
皆がそこは安全と察知した。
20世紀少年の万博会場のようでもある。
その後、姫路城は昭和の大解体を行う。
いや、解体は言葉が悪い、リニューアルが適切だろう。
このとき、天守閣を支える2本の屋台骨、
大木の一つは400年前のものを残した。
平成の大解体の時はどうなるのだろう。
今、姫路城の周囲は本当に奇麗になった。
いつまでも生き延びて欲しいものだ。
※この観光スポットの感想クチコミは各投稿者が経験した体験を基にした個人的な意見であり、【たびかん編集部】のものではありません。
兵庫県在住の女性の方からのコメント [2009-09-07 21:55:20]
世界遺産の一つ、姫路城。
JR姫路駅をでたとたんに、どーんと目の前にそびえます。
その白亜のお城は、まさに「白鷺城(しらさぎ)」といわれるのもナットクの美しさです。

駅から城までは徒歩15分ほどかかるので、大通りをぼちぼち歩くのもいいですが、大通り右横の「みゆき通り」というアーケードを通ると、暑くもなくお店をみながら歩けるので、15分があっという間です。

今年10月からは平成の大修理にはいります。
修理期間は約5年。その間、天守閣にはブルーシートがかけられてすばらしい景観はみることができません。

姫路城をみるなら、お早めに!

北海道在住の男性の方からのコメント [2009-09-04 09:54:21]
勉強になります。

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