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千本松渡船
大正区南恩加島と西成区南津守を結ぶ。
この付近は江戸時代には諸国廻船の出入りの激しいところであったといい、大阪市の説明文によると
『幕府は、舟運の安全のため水深を確保し、また防波堤のとしても役立つよう、天保3年(1832)ここに大規模な石の堤を築いた。千本松の名は、この堤防の上に植えられた松並木に由来する。「摂津名所図会大成」に「右塘(つつみ)に数株の松を植列ぬるゆえに俗に木津川の千本松といふ洋々たる蒼海に築出せし松原の風景は彼の名に高き天橋立三保の松原などもほかならず覚ゆ・・・」と述べている。
千本松の渡しが設けられた年代ははっきりしないが、大正時代の中頃に初めて設けられたものと思われる。昭和48年に千本松大橋が完成し、それとともに渡しは廃止されることになっていたが、地元住民の強い要望によって存続することになり、現在も通勤通学の貴重な移動手段として利用されている。令和4年度現在、1日平均871人が利用している』
とのこと。
航路の横には千本松大橋、通称メガネ橋がある。
ぐるぐると3回ほど上り下りする橋だが上から見るとメガネみたいに見えるから。その名がついた・・と思う。
歩行者や自転車が、この橋を利用するには体力気力が必要なので地元住民の強い存続要望は理解できる。
桟橋は綺麗で、昼間でも結構利用者が多く見られました。
午後になると太陽が西へ傾き、水面に光が反射する中を渡船が走る姿は美しく見えます。
渡った先は大正区。沖縄の人が多く住む町。
区全域が川に囲まれて橋によってしか他の区に行けない。
大正警察の者に言わせると事件が発生しても橋を押さえたら逃げ道が無いとか。
渡船も押さえとけよ!って言ってやった。
沖縄料理店も多いので、ここは自転車を避け、何とかして歩いて行けば美味しく楽しい沖縄居酒屋を楽しめると思います。
※この観光スポットの感想クチコミは各投稿者が経験した体験を基にした個人的な意見であり、【たびかん編集部】のものではありません。