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公園内のテニスコートの東側に屋敷森がある。
グラントハイツ時代の立て札が残っているそうだ。
いつも訪れるのを忘れてしまう。
■概要
光が丘公園は第二次世界大戦中に飛行場だった。
その歴史は短く、たった一年間だけの飛行場である。
終戦後、米軍がやってきてガソリン撒いて全部焼き払った。
焼き払われた後は外国人向け住宅街になった。
その名もグラントハイツ。
金網に囲まれて日本と米国で領土が遮断された。
1973年に土地が日本に全面返還。
1981年に光が丘公園が完成。
■感想
光が丘公園の紅葉を観察して数年間になる。
一番初めに紅葉するのが名物のイチョウ並木である。
成増飛行場だった頃の滑走路である。
昔はここから飛行機が飛びだった。
出発の地であり将来に向かって飛び立つことから縁起がいいのだ。
燃やされたけどね。
このイチョウ並木、ちょうど七五三の時期と重なり、最盛期には多くの人が訪れる。
十日から二週間でさくっと散ってしまう。
並木には最後まで一本だけわっさわっさ葉がついてるイチョウがある。
縁起をかつぐ人なんかはこの木の葉っぱをお守りにする人なんかもいるそうだ。
生命力が強い木なのでなんかパワーのご利益があるのだろう。
このイチョウ並木が散ると光が丘公園のモミジやその他雑木林の木々が本格的に紅葉しだす。
光が丘公園のモミジは、なんとトイレの近くに集中している。
それ以外は雑木林の中に入る必要がある。
美しいモミジがある、と思ったらトイレの目印でもある。
この情報を知っていると光が丘公園のモミジは素直に楽しめなくなるのだ。
※この観光スポットの感想クチコミは各投稿者が経験した体験を基にした個人的な意見であり、【たびかん編集部】のものではありません。