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昭和53年に愛媛県愛南町の久良湾から引き揚げられた紫電改です。引き上げられた紫電改を修復して展示保存しています。現存機としては、日本で一機だけだそうです。
ゼロ戦にかわる新鋭機として終戦間近に作られた戦闘機です。
恒久平和のシンボルとして写真や資料と共に実物の紫電改を展示しています。
入場料も無料です。
訪れる人に、戦争や平和を考える機会を与えてくれます。
是非、訪ねてみてはいかがでしょうか。
※この観光スポットの感想クチコミは各投稿者が経験した体験を基にした個人的な意見であり、【たびかん編集部】のものではありません。
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せいさんのクチコミ
2012年05月08日に投稿されました。
24年5/4に紫電改展示場に行きました。5年前からの計画がやっと実現しました。
思うには、昔、紫電改の鷹というマンガの本を連載で呼んでいました。滝城太郎という若い操縦士たちの本土防衛のために壮絶な戦いを繰り広げてた物語です。戦争末期にやっと間に合った2000馬力の紫電改、1000馬力の零戦に比べて一回りも大きな機体に20ミリ砲×4という絶対的武装。零戦と比べても重装備の紫電改は見事なほどの戦闘機です。総生産400機足らずの末期の状態ではよくぞ生産されたと思います。その滝操縦士がこの紫電改で本土を守り、最後には特攻という玉砕の道へ向かい戦後の教師になる夢はたたれました。事実は、架空の滝操縦士でなく、末期に防衛のために若い命を犠牲にして戦った松山を基地としての青春の事実の物語の中で本当の青春期をこんな軍部の邪道で走った若い人たちの悲しい実話です。こんな戦いに若い命はあるのでなく、せっかく生まれてきた尊い命が時としてこの戦争の時代とは悲しい因果と受け止めても受け止めれないものでしょう。
生き残った操縦士は戦後の日本の平和への復興のために、そして散った若い操縦士たちは本土の防衛のために捧げた命は永遠に歴史の語り草として残ることとおもいます。
ここの展示場でいろいろな思いを寄せて紫電改という名機を見させてもらいました。
これからも何度となく訪れる予定です。
山陰は松江からの車の走行で片道8時間かかってきただけのまさに歴史の物語の紫電改でした。
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