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ウマゴンさんの竹内街道に対する口コミ

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ウマゴンさんのクチコミ
2018年12月02日に投稿されました。
竹内街道は、大阪府堺市から東へ向かい、二上山の南麓・竹内峠を越えて、奈良県葛城市の長尾神社付近に至る約26 kmの街道で、大和国と河内国を結んだ古代の幹線道路の一つ、日本最古の官道といわれています。
その昔、河内国難波の宮(今の大阪城辺り)の港に上がった資材を明日香の古代大和朝廷や有力豪族まで運ばれたと言われています。
当然今も昔も、物流だけでなく物の運搬とともに人材、情報、文化の交流も行われたわけで、まさしく古代日本の産業、文化の中心であり発信基地であったわけです。

また現代に至っては、その歴史的遺産だけでなく、奈良盆地を中心に河内・南山城地域にかけて分布する特徴的な切妻屋根の大和棟造りの家屋がその面影を残す地域としても貴重である、と聞いたことがあります。

私自身、古代大和王朝から大化の改新までの歴史が好きで、特に聖徳太子及び蘇我氏隆盛の時代に興味があることもあり、一度は訪れてみたい場所でした。
ただ時間的、体力的条件もあるため、実際に訪問したのは竹内街道の中でも太子町付近と竹内街道歴史資料館のみという、竹内街道の紹介としては少し恥ずかしく物足りない内容になることをご容赦下さい。

当日は「道の駅 近つ飛鳥の里・太子」に乗用車を駐車し、そこから案内看板に従って街道を移動、「大道旧山本家住宅、孝徳天皇陵、竹内街道歴史資料館の巡り再び道の駅に戻って来るというルートでした。

全長約26?の竹内街道のうちたったこれだけの距離の体験でしたが、場所ごとに時代の違いや色々な表情を見せ、歴史の移り変わりを感じることができる体験でした。
特に竹内街道歴史資料館では、映像による竹内街道の歴史的変遷の説明があり、私のような「遣隋使」時代の官道としての認識しか無かった者にとっては、江戸時代には、お伊勢参り、大峰詣、當麻詣などが盛んになり「宗教の道」として、街道沿いには道標が建てられ、旅籠や茶店などが軒を連ね賑わったことや、明治には、大阪南部が堺県となりやがて堺県が奈良県を併合すると物資を運ぶ「経済の道」として街道の重要性がましたことなど、全く知らなかったことが多くあり、恥ずかしさとともに、新しい知識を得たことに感謝しました。
まさしく、時代とともに役割を変え姿を変えてきた竹内街道なのです。

最近では、「太子町観光・まちづくり協会」が中心となり、竹内街道・横大路(大道)実行委員会が日本遺産認定をめざし、文化庁へ日本遺産認定申請をした結果、大阪府では初めてとなる日本遺産に認定されたとのこと。
またその認知度アップと町おこしとして、各種のイベントを実施したり、Photoコンテストを実施したりと、官民一体となった活動を展開しています。
※私事ですが、この文章を書いていて思い出しました。実は今年の夏に実施された「竹内街道・横大路(大道)2018デジタルフォトコンテスト」に応募をいたしました。表彰式が12月上旬という応募要項を読み直して、未だに何の連絡も主催者から無いということは、落選したのだなと。いいのか悪いのか、この投稿をきっかけに思い出しましたが、忘れるぐらい自信の無い応募だったので残念な気持ちはありません。という言い訳で今回の投稿を終わります。
※この観光スポットの感想クチコミは各投稿者が経験した体験を基にした個人的な意見であり、【たびかん編集部】のものではありません。
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