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コロナ騒動のせいで大きなフグの看板が消えた。
この地も様変わりしている。
新世界からジャンジャン横丁を南へ抜けると西成あいりん地区になる。
昭和40~50年代に何度も騒動があった場所。
日雇い労働者と警察が衝突した。
機動隊に向かって石や火炎瓶が投げられる。
学生運動と違って、ここでは『クソ爆弾』も投げられた。
ビニール袋に糞尿を入れて機動隊に投げるのだ。
そんな時代にまた別の戦いが勃発する。
大阪戦争と呼ばれる大日本正義団と山口組との抗争。
組事務所に拳銃や散弾銃が打ち込まれ、多数の死傷者を出した事件。
そんな危ない地域の南側には旧飛田遊郭がある。
昔の赤線地域だが、今も小料理屋として往年の雰囲気が残っている。
各店の玄関には綺麗な女性がライトを受けて座っている。
店の二階へ上がって女性と話をしているうちに仲良くなってしまうというスタイル。
料亭の百番の建物は登録有形文化財に指定されている。
ここは綺麗な女性が座っているのではなく純粋に料亭だが、今は予約客しか受け付けていないと聞いた。
ここから、さらに南へ300メートルほど行った天下茶屋で崖崩れが発生して連日のニュースになった。
太古の時代、この崖の下まで海だった場所で崖の上は上町台地。
一軒だけ崩れずに残った家屋の下は上町台地の岩盤が残っているようだと専門家が解説していた。
この崩れた石垣は上町台地に沿って北へ延びている。
先ほどの飛田地区東端にも、かつては石垣があった。
昭和の時代に、この地で働いていた人に石垣の由来を聞くと「遊郭で働いていた遊女が逃げられないようにした石垣だ」という話も聞いた。
災害列島の日本。
こんな街中にも大きな災害が発生する時代になってしまったのが恐ろしい。
※この観光スポットの感想クチコミは各投稿者が経験した体験を基にした個人的な意見であり、【たびかん編集部】のものではありません。