たんぽぽ1001さん(60代後半・男性・大阪府)
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たんぽぽ1001さんのいち押し観光スポット(14件中 1-4件を表示)
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たんぽぽ1001さんの口コミ(639件中 1-5件を表示)
2021年2月22日 。日曜と祭日に挟まれた平日だからか人出が多い。
道明寺天満宮の駐車場は入り待ちする車が外の道路まで溢れている。
恒例の猿回しもいた、前回は女性猿使いだったが今日は男性がやっている。猿は1歳で人間にしたら3歳という。仕草の一つ一つが可愛い。
何度も来ているのに敷地内にある 元宮 土師社にはお参りしたことが無かった。
天満宮が創建されるまでは、こちらが本社であったらしい。
土師社の前にはお相撲さんの手形の石碑。
何だろ? 地元藤井寺出身の力士だそう。
せっかくなので入園料300円を払って梅園へ入ってみた。
八分咲きというところか。
梅の香りが良い。
大きな楠木(だと思う)が目を引いた。
樹齢云々の説明は無く「お爺さんの木」と書かれてある。
古木の意味らしい。
暖かく好天に恵まれ、ますます人が多くなってくる。蜜を避けて早々に退散。
大阪にも大仏様がおられた。
河内長野市古野町、東高野街道の横に極楽寺がある。
その境内におられる座像で実際の高さがわからない。
一般的に釈迦の身長と言われる4.85メートル以上ある立像が大仏と呼ばれるそうだ。
お釈迦さまって大きかったんですね・・・。
こちらの像は座像なので、その半分の高さがあれば大仏と称して良いものと考えられる・・・・が、青空を背に座っておられる姿を目の当たりにすると、そんな細かい話はどうでもよいと思える。
お寺の入り口は隣接の幼稚園の前を通り過ぎた所にあり、少し分かりづらい。
わかりづらかったのは元来私が方向音痴であるのと高齢が原因と思料される。
山門をくぐると左手に羽を広げたような屋根を持つ本堂が目に入る。右側には鐘楼。
その真ん中に大仏様が鎮座されていた。
そのお顔は凛々しい中にも慈愛に満ちている感じがして、いつまでも見ていられる。
個人的には今までお参りさせていただいた像の中でも一番好きなお顔だ。
境内には五ノ木稲荷がある。
このお稲荷さんは元々は近くの五ノ木古墳に祀られていたが古墳が無くなったのを機に移設されたらしい。
古墳が無くなった? どんな経緯なんだろう。そっちにも興味が湧いたが詳細は不明だ。
大黒寺(ダイコクジ)は羽曳野市大黒(オグロ)にある。だから私はずっとオグロジだと思っていたがダイコクジが正しいということを知った。
ダイコクジが焼失したあとで再建したのがこの地の豪族だったオグロ氏だった。しかし寺の名前はダイコクジ・・なんか、ややこしい話です。
大黒天は元々は戦いの神様。しかし、日本では五穀豊穣と財福の神様となった。
日本で最初に大黒様が出現された霊場とのことで、役行者が金剛山で修験していると雲に乗った大黒天様が現れ、お告げを受けたことから大黒寺が始まったというようなことが曹洞宗HP寺ナビに紹介されている。
境内に入ると千年小槌というお堂があって鈴を鳴らしながら7回廻ると願いが叶うという。
さらに境内を進むと大黒天堂があり、その前には七福神像が並び大国堂がある。
さらに境内には「さざれ石」「中国清代の鐘」などがあり、何となく楽しいお寺さんでした。
駐車場も広く、近鉄南大阪線の駒ヶ谷駅からも徒歩5分ほどの距離で訪れやすい。
日本最古の官道と言われる竹内街道と東高野街道が交差する交通の要所から直線距離で北東へ150メートルの位置に建つ小さなお寺さん。
飛鳥時代に創建された古代寺院で鎌倉時代以降、盛衰を重ねた寺で、広大な敷地を持っていたというが、兵火と明治時代の廃仏毀釈で中世以前の堂塔ほぼすべてを喪失したらしい。
境内には推定27トンの巨石が置いてあるが、塔心礎ということだが、よくわからない。
また、五輪塔(西琳寺に関係した高僧の供養塔と言われる)も置かれているが、羽曳野市のサイトによると高屋城跡の工事現場から発見されたとある。
高屋城というのはこの寺の近所にある安閑陵古墳を本丸として利用した城。
歴史がいっぱい詰まったお寺。かつての広大な規模だった姿はどんなものだっとのだろうかと想像するのも楽しい。
近鉄南大阪線古市駅と道明寺駅のほぼ中間くらいにこの墓がある。この付近で討死したらしい。
剣術、柔術に秀でた武将とのことだが、花街で遊んでる時に敵に攻められて失態をおこしたという話もあって人物的には興味をそそられる。
旧国道170号を歩いていると墓への案内板がある。矢印の方向を見ると道ではなく、どこかの敷地内へ入って行くような感じを受ける。
まっすぐ進むと、また案内板がある。あぜ道のような細い道を行くと左手にひっそりと墓があった。
小さな公園みたいでベンチも用意されている。
この付近は古墳が多いが、時代が下がったら戦いの場になったことになる。
大坂夏の陣で、薄田兼相、真田幸村、毛利勝永、後藤又兵衛など有名な武士が戦った場所だと思うと感慨深い。